数ヵ月の間で目まぐるしく
色々なことが起こり
心の準備もできないまま
家族がバラバラに
生活することになって
かずぼーはもちろん
きょうだい児の
とっしーとすぅも
寂しさを我慢していました。
年末に入院したとき
とっしーは年長さんで
翌年には
小学1年生。
それまでに
卒園式や入学式、
他にもさまざまな行事が
予定されていたのに
かずぼーの治療と重なったり
外泊もタイミングが合わずに
ほぼ参加できず。
入学式のみ病院から直行。
卒園アルバムの
とっしーを見てみると
入院したあたりから
笑顔があまり
ありませんでした。
すぅは…というと
やはり大泣き。
クリーンルームにいるときは
面会不可なのですが
それ以外の調子が良いときは
デイルーム(談話室)にて
会うことができていて
今はコロナで面会不可。
家と病院の距離が
そう遠くなかったため
会える日はいつも
そこで宿題をしたり
夜ご飯を持ってきて
主人が作ったもの
みんなで食べたり。
デイルームではしゃぐ3人。
だけど21時には消灯で
帰らなければならなくて。
その時間が近づくと
すぅが泣き出し
それを慰めるとっしー。
とっしーも本当は泣きたい。
そういう日々が
しばらく続きました。
またかずぼーは
主人と交代すると
大泣きしていたので
私が自宅に帰れたのは
土曜日の夜のみ。
それもかずぼーが
寝たのを確認してからです。
それまで主人達は待合室で待機。
その土曜日の夜と
翌日の日曜日の朝までが
唯一とっしーとすぅと
過ごせる時間でした。
また戻るときは泣くという…
でも
寂しい思いも
悲しいことも
たくさんあったけれど
途中からはお互いに
「みんなで頑張ろうね!」
円陣組んだりしてました。
「また会いに来るね!」
と笑顔でバイバイできるまでに
家族が一致団結して
精神的にも強くなり
狭いベッドの上ではなくて
床に布団を敷いて
寝返りしながら眠れることが
病院では寝返りできず…
どんなに贅沢なことか
家が狭くても
みんなで過ごせるだけで
どんなに幸せなことか
だから引っ越さない…?
それまで
当たり前と思っていたことが
実は当たり前じゃなかった
とても幸せなことだったんだ、と
皆で気付けたことも
たくさんあり
今でも
その時の気持ちを
思い出すようにして
ギャーギャー
きょうだい喧嘩している
子ども達に
「喧嘩できるって
幸せなことだからね!」
そう言っています。
入院・闘病は
本人が心身的に
一番辛いのはもちろんですが
きょうだい児も
我慢しなければならないことや
寂しさもあって
闘病って
みんなで一丸(チーム)となって
闘っていかなければ
難しい…
そう思いました。
そういえば
土曜日の夜のかずぼーはというと
私が自宅に帰った後に
なぜか起きてしまい
一晩中大泣きしていたそうです。
主人がずっと抱っこ
日曜日の主人は
いつもぐったりしていました。
(ありがとう…)
次回からは辛かった
大量化学療法などの話です。
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